結論から言うと、あの即席の😅、自宅でのマンの短期間日本語特別レッスン?は、
全く必要なかった💧
I told you so. 😏 (だから言ったじゃん。)
ふてくされ気味に、夫は言う。
そもそも30分程度では大した力にもならなかったし、今思えばあのレッスンなるもの?はマンの為ではなく、完全に私への気休め😅。
あの時間があろうとなかろうと、マンの初めての幼稚園は彼にとってハードなものだった。
幼稚園に入園したマンは、ほぼ1学期と言っても決して過言ではないほど、まあ毎朝よく泣いた。
言葉の問題も、もちろんあったとは思う。
ただ既に述べたように、あのレッスンは全く必要なかった💧ことから、
入園前に1度もレッスンをしてもらえず、少ないボキャブラリーのまま幼稚園に送られた😅マンの弟、チキンが、毎日ニコニコと幼稚園に通ったことを思うと、泣いている理由は言葉以外にも当然あったのだろうと思う。
マンが泣いているからといって、それも毎日だからといって、我が家の方針(家では家族全員が英語を話す)を変えないでよかった。
危なかったけどね😅。(情に流され、うっかり日本語で話してしまいそうだったよ。)
マンが園にも慣れ泣かなくなってきたのが、ちょうど夏休みに差し掛かるころ。
気が遠くなるほど長かったけど😅、ちょうどこの辺りからマンの日本語の力がぐんと伸びてきた。
公園時代は、お友達には日本語、私には英語で話していたマンだが、この頃になると、外での私との会話にほとんど英語が要らなくなったのだ。
私が外で、何かマンに向かって英語で言うとすれば、それはマンが何かおかしなこと、悪いことをした時だけで😤、それ以外は基本、私たちは外では日本語で話をした。※
※周囲に友人らがいる場合のみ。
夏休みが明け2学期を迎えると、マンの日本語は益々上達していく。
How was your kindergarten? (幼稚園、どうだった?)
にも、最初は誰々と遊んだ、滑り台をした、鬼ごっこをしたぐらいの回答だったのだが、2学期、3学期と友達との仲が深まるに連れ、また日本語の語彙や表現が増えるにつれ、次第にマンは、
Uh...
と言葉に詰まるようになってきた。また、
How do you say? (英語で何て言う?)
How can I say? (何て言ったらいいかな?)
も間に随分と入ってくるようになり、最終的には面倒くさいのか、
Fine☺️(普通)
で終わらせることも多くなってきた💧
日本語で経験してきたものを、英語でまた説明するのがしんどかったようだ。
特に流行り言葉だったり、面白かった友達の言葉はそのまま使った方が現実味があるというか、笑いの質も違うのだろう。
そうやって日本語の採用を1つ、2つと許しているうちに、次第にマンは家でも日本語を使うようになってきた。
特に夫が帰ってくるまでの間、私が日本語が分かるのをいいことに、私の英語での問いかけにちゃっかり日本語で返してきたりする。
これは何とかしなければ!